イタリアワインバーAZへの達人のクチコミ
ものすごーく日本的な、マルコポーロの時代の黄金の国ジパング的な意味の、フェンスの向こうのイタリア。彼らにとってバールはもっと身近なものなんだよ。朝コーヒーを飲みに行ったり、昼はパニーニで腹ごしらえをしたり、一日何回も行く。友達同士でも、二人でじとーっとでも、一人で来てさっさと帰るのもよし。流儀っていうのはなくて自由に使える生活の拠点みたいな感覚。言葉は悪いけど(マスターもこの言葉を使っていたからそのまま使うけど)ここはイタリアオタクの集結する店(周辺のマンション族はさっぱりで、千葉とか、とんでもない遠方の客が多い)。敷居はかなり高くて、そう気安くというわけにはいかない。基本的に料金は提示しないから、まあ在り方として寿司屋で、魚をそっくりワインに変えた、と思えば間違いない。完全お任せで、自分の好みを明確に主張できるわけでもなく、カウンターでの簡単なやりとりは、むしろマスターにきっかけを与えるためで、客は受身の立場になる。具体的に何が出てくるか、どのくらいの量か、値段がいくらなのかは、わからない。イタリア人を連れて行ったらたぶん寝込んじゃうと思うよ(笑)。彼ら、ワインは安いもの、そして食事はたっぷり取るもの、と信じているから。キャンティ一杯、蝦夷鹿のスモーク(生ハムの一切れの半分位の量、12g程度)、突き出しの薄切りのズッキーニ2枚、しめて2,800円くらいだった。蝦夷鹿にはそうとう自信ありげだったけど、ぼくは蝦夷の人間だから散弾銃のタマを齧ったことだってあるんだ。これにバルサミコがかかってきた。コレ一本、8000円だって。皿のはしっこに小さなパンがついてきて、これは面白かった。シューみたいな外観で、粉っぽく、セモリナ粉がベースで、日本ではこういう粉はめったに入らないんじゃないかな。自家焼きだったら、マスターの料理の腕はかなりのものと思える。けど、いまこういう地方のパンは結構真空パックで輸入されているんだ。区別はちょっとつかなかった。キャンティは5、6年熟成させたもので、稀少品とのふれこみだったから、ぼくは1950年のを飲んだ、と言ってみた。「腐ってるんじゃないの」とのこと。イタリアではどんどん飲んでしまって熟成はあまりやらないからね。でもキャンティは中庸を行くワインで熟成不向きと言われているけど、蔵元、醸造家、一部の愛好家を中心に長期熟成させる習慣があるんだ。ちなみにそのキャティは、FRESCOBALDI NIPOZZANO 1950。底に澱というより、金属の塊がリアス式海岸みたいにギザギザになって貼りついていた。
マニアックになるというのは、観察の対象の外にいる、という態度で、中に入ると、マニアじゃなくなり、リアルになる。つまり、美術館の散歩者とイーゼルを立てて模写をする人の関係ってわけ。イタリア人気質を考えてみればわかることだけれど、彼らの中にマニアは少ないんだ(イタリア人のインドマニア、中国マニアって、想像できないでしょ、日本にはゴロゴロいるけど)。そう、イタリア人は、マニアじゃなく、リアル。だからマニアックな方向性を強めれば強めるほど、イタリアに関する知識はふえてゆくわけだけど、そのこと自体、リアルイタリアの極北に誘うというパラドックスがここに生まれる。これに気づくか気づかないか、気づいているとしたら、それが自分の中でこなれているかどうか、が分かれ道になるだろうね。
マニアックになるというのは、観察の対象の外にいる、という態度で、中に入ると、マニアじゃなくなり、リアルになる。つまり、美術館の散歩者とイーゼルを立てて模写をする人の関係ってわけ。イタリア人気質を考えてみればわかることだけれど、彼らの中にマニアは少ないんだ(イタリア人のインドマニア、中国マニアって、想像できないでしょ、日本にはゴロゴロいるけど)。そう、イタリア人は、マニアじゃなく、リアル。だからマニアックな方向性を強めれば強めるほど、イタリアに関する知識はふえてゆくわけだけど、そのこと自体、リアルイタリアの極北に誘うというパラドックスがここに生まれる。これに気づくか気づかないか、気づいているとしたら、それが自分の中でこなれているかどうか、が分かれ道になるだろうね。