ラーメン富士丸(富士○)への達人のクチコミ
(旧
ラーメン二郎 赤羽店) 自己5店目、初回利用:1992年ごろ、最終利用:2002年、
今は陰ながら応援しているだけなので、オープン当時の昔話をさせてください。
ラーメン二郎のことは私がまとめた「特集」をご覧ただければ幸いです。
バブル崩壊後ですからもう10年以上前になりますが、それまで支店らしきものは吉祥寺にしかなかった「二郎」が、目黒・品川・蒲田・新橋・神田・・・とにわかに大発生した直後に、この支店もオープンしたと記憶します。
店名は赤羽店ですが、都心からだと王子を越えて行くせいか、三田の本店に並んでいた常連の中では“王二郎”と呼ばれ、「深夜に食える二郎が誕生!」「二郎の豚がビールのつまみで座敷で食える!」と評判になりました。(注、三田本店は15時過ぎに売り切れ閉店、豚とはラーメン用の煮豚。)
地下鉄南北線すらも未開通だった当時は、今よりさらにアクセスが悪く、夜10時ともなれば店はガラガラ。カウンターでの~んびりビールを飲みながら、「よくもこんなところに店を出したね!」「オレ、もとはトラックの運転手だったから大通り沿いを選んで・・・」などと、若いご主人の話相手をしていたのです。ラーメンを食べ終わっても、「次の客が現れるまでのサクラになってあげよう」と待っていたことすらありました(他の二郎を上回る暴力的な麺の量で、腹がパンパンに膨れて動けなかったせいもありましたが!)。時々客が増えると、店の2階の自宅から奥さんが下りて来て、赤ちゃんを抱えたままヘルプする姿には涙が出そうになったものです。
また、ニューヨークやLAに転勤した元常連の友人宅を訪ねた際には、彼らへの最高の手土産として「二郎ラーメン」を思いつき、麺とスープを譲ってもらって「海を渡る二郎ラーメン」の運び屋をやったこともありました。そんなことは三田本店のオヤジには頼みにくいので、当店のご主人に訳を話したところ、快く応じてくれました。生麺とタレそしてあの豚を容器に詰めてもらい、具の野菜の茹で方を教わって密輸!(アメリカでは“かんすい”の食品添加が禁じられていたので見つかったらアウトでした)
そんなことがあったほど、現状からは想像もつかない場末のヒマ~な店だったのです。
ほどなくして行列が歩道にあふれ、バイトも雇い、屋号も変え、支店も出して・・・、私の顔も忘れられてしまうほどの繁盛店になりました。
変わらないのは、店内に掛けられた額の中の、「旧本店前でオヤジと並ぶ修行中のご主人の写真」そして「開店日に最初のお客さんから頂いた千円札」だけかもしれません。
今は陰ながら応援しているだけなので、オープン当時の昔話をさせてください。
ラーメン二郎のことは私がまとめた「特集」をご覧ただければ幸いです。
バブル崩壊後ですからもう10年以上前になりますが、それまで支店らしきものは吉祥寺にしかなかった「二郎」が、目黒・品川・蒲田・新橋・神田・・・とにわかに大発生した直後に、この支店もオープンしたと記憶します。
店名は赤羽店ですが、都心からだと王子を越えて行くせいか、三田の本店に並んでいた常連の中では“王二郎”と呼ばれ、「深夜に食える二郎が誕生!」「二郎の豚がビールのつまみで座敷で食える!」と評判になりました。(注、三田本店は15時過ぎに売り切れ閉店、豚とはラーメン用の煮豚。)
地下鉄南北線すらも未開通だった当時は、今よりさらにアクセスが悪く、夜10時ともなれば店はガラガラ。カウンターでの~んびりビールを飲みながら、「よくもこんなところに店を出したね!」「オレ、もとはトラックの運転手だったから大通り沿いを選んで・・・」などと、若いご主人の話相手をしていたのです。ラーメンを食べ終わっても、「次の客が現れるまでのサクラになってあげよう」と待っていたことすらありました(他の二郎を上回る暴力的な麺の量で、腹がパンパンに膨れて動けなかったせいもありましたが!)。時々客が増えると、店の2階の自宅から奥さんが下りて来て、赤ちゃんを抱えたままヘルプする姿には涙が出そうになったものです。
また、ニューヨークやLAに転勤した元常連の友人宅を訪ねた際には、彼らへの最高の手土産として「二郎ラーメン」を思いつき、麺とスープを譲ってもらって「海を渡る二郎ラーメン」の運び屋をやったこともありました。そんなことは三田本店のオヤジには頼みにくいので、当店のご主人に訳を話したところ、快く応じてくれました。生麺とタレそしてあの豚を容器に詰めてもらい、具の野菜の茹で方を教わって密輸!(アメリカでは“かんすい”の食品添加が禁じられていたので見つかったらアウトでした)
そんなことがあったほど、現状からは想像もつかない場末のヒマ~な店だったのです。
ほどなくして行列が歩道にあふれ、バイトも雇い、屋号も変え、支店も出して・・・、私の顔も忘れられてしまうほどの繁盛店になりました。
変わらないのは、店内に掛けられた額の中の、「旧本店前でオヤジと並ぶ修行中のご主人の写真」そして「開店日に最初のお客さんから頂いた千円札」だけかもしれません。