三好弥への達人のクチコミ
この日は、ちと、体調が悪く、会社を休んで昼過ぎまで寝ていた。
昼を過ぎ、暫くするとお腹が空いてきた…体調が回復した知らせ、である。(笑)
朝から何も食べていないので、体調が回復してみると、やたらとお腹が空きだした。
そんな訳で、車で浅草に向かったのだった。
最近よく車を止める千束通り沿いの大きな駐車場に車を止め、さて、何を食べようか…と、考える。
そうだ、久しぶりに駐車場からも近い、とんかつ三好弥でとんかつを食べよう…と、商店街を少し歩いて、訪問した。
平日の昼下がり、店内は静かに落ち着いていた。
雷門から仲見世、新仲見世辺りには、平日でも観光客が居るが、言問通りを渡った千束通り商店街には、平日に観光客は居ない。
通り沿いにあるテーブル席に付くと、品書きから、味噌かつ丼950円を頼んだ。
品書きには950円と記載されていたが、勘定を払う段になると、900円、との事であった。
昼時はランチタイムという事で、安い様である。
店内に客は僕1人、静かである。
出された熱い茶を飲んで、暫し待つ。
厨房では、肉を叩く音、そしてやがて揚げる音、が聞こえて来た。
丁度その時、近所の方なのであろう、ご主人に挨拶をしながら1組のご夫婦が入って来て、奥の席に着いた。
お待たせしました、と、息子さんと思われるもう1人の男性が、かつ丼の載った盆を出してくれた。
丁度良い大きさの丼に、ご飯が盛られ、その上に、薄く千切りキャベツが敷かれて、キャベツをベッドに、小振りのトンカツが寝そべっている。
その上には濃厚な味噌だれが掛かる。
八丁味噌仕立ての濃い味噌だれ、が、三好弥のシンボルである。
少し脱線しよう。
ご存知の方も多いと思うが、三好弥、という店名、ちと、奇異に感じた事が無かろうか?
普通、〇〇や、という店名の場合、「や」は「屋」か「家」のはずである。
ところが三好弥は、そこに「弥」という文字が来る。
知ってしまえば簡単で、この三好弥という屋号は、三河(愛知県)出身の好弥さんという方が始めた店の名、なのである。
三河の好弥で、三好弥、という訳だ。
三河出身のご主人が始めた店であるからして、当然、とんかつと言えば、八町味噌を使った味噌とんかつ、が看板商品となった。
初代が始めた三好弥は人気となり、やがてこの店で修行した多くの料理人達が暖簾分けで独立していった。
一時には関東地方に数百軒を数えたらしいが、現在でも40軒程が、三好弥の暖簾を護って営業しているとの事。
道理であちこちで見かける訳だ、と、納得された方もおられよう。
…閑話休題。
話を戻そう。
その八丁味噌仕立ての甘い味噌だれが、揚げ物、特にトンカツには良く合い、何とも美味い。
カラリと揚がった硬目の衣、に、特によく合う。
この味噌だれは、分厚い肉の旨味を愉しむ衣の薄いトンカツ、つまり、塩で食べるのが最も美味い高級なトンカツよりも、薄めの肉と硬目の衣、それを一体として味わう際に、最も適している。
更にいえば、そのトンカツに味噌だれの風味を加えることで、味噌だれトンカツという無二の一品となる。
裏を返せば、味噌だれで食べる事で、ストレートな肉の旨味等は、全く判らなくなってしまう。
よって高級な肉を使った、肉そのものの旨味を味わうトンカツには、適していないと言い切っても、過言ではなかろう。
…そう、気取らない庶民の味、なのである。
だからこそ、昔の気取りの無かった関東の人々に、広く受け入れられたに違いない。
時が移り、東京を中心に関東で気取った文化、気取った食事がもて囃される様になると共に、店の数が減って来たのではあるまいか。
だがしかし、気取りの無い下町が広がる、上野、仲御徒町、根岸、錦糸町、そして浅草等、現在でも多くの三好弥が、味噌だれトンカツを看板として、庶民の支持を受けて残っている。
東京に根付いたこの三河文化が残り続けるかどうかは、東京の食文化の底の深さを計る1つの目安となり得る、と、僕は考える。
誤解を恐れずに言えば、現在の東京都心部には、食文化が無い。
(勿論、江戸から続く一部の土地には、今も食が文化として残っているが…)
そこあるのは、流行と共に移り変わる、底の浅い浅薄な飲食店群のみである。
僕が下町を好むのは、少なくとも今の下町には、食文化と呼べるものが多く残っているから…かも知れぬ。
食が文化と呼べる様になるには、長い年月が必要となる。
それには、それを受け容れ、護り育てる人々が居る事、そういう人々が住まう土地である事が、何より重要となる。
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三好弥へのその他のクチコミ
昼 1,000円以下
昼を過ぎ、暫くするとお腹が空いてきた…体調が回復した知らせ、である。(笑)
朝から何も食べていないので、体調が回復してみると、やたらとお腹が空きだした。
そんな訳で、車で浅草に向かったのだった。
最近よく車を止める千束通り沿いの大きな駐車場に車を止め、さて、何を食べようか…と、考える。
そうだ、久しぶりに駐車場からも近い、とんかつ三好弥でとんかつを食べよう…と、商店街を少し歩いて、訪問した。
平日の昼下がり、店内は静かに落ち着いていた。
雷門から仲見世、新仲見世辺りには、平日でも観光客が居るが、言問通りを渡った千束通り商店街には、平日に観光客は居ない。
通り沿いにあるテーブル席に付くと、品書きから、味噌かつ丼950円を頼んだ。
品書きには950円と記載されていたが、勘定を払う段になると、900円、との事であった。
昼時はランチタイムという事で、安い様である。
店内に客は僕1人、静かである。
出された熱い茶を飲んで、暫し待つ。
厨房では、肉を叩く音、そしてやがて揚げる音、が聞こえて来た。
丁度その時、近所の方なのであろう、ご主人に挨拶をしながら1組のご夫婦が入って来て、奥の席に着いた。
お待たせしました、と、息子さんと思われるもう1人の男性が、かつ丼の載った盆を出してくれた。
丁度良い大きさの丼に、ご飯が盛られ、その上に、薄く千切りキャベツが敷かれて、キャベツをベッドに、小振りのトンカツが寝そべっている。
その上には濃厚な味噌だれが掛かる。
八丁味噌仕立ての濃い味噌だれ、が、三好弥のシンボルである。
少し脱線しよう。
ご存知の方も多いと思うが、三好弥、という店名、ちと、奇異に感じた事が無かろうか?
普通、〇〇や、という店名の場合、「や」は「屋」か「家」のはずである。
ところが三好弥は、そこに「弥」という文字が来る。
知ってしまえば簡単で、この三好弥という屋号は、三河(愛知県)出身の好弥さんという方が始めた店の名、なのである。
三河の好弥で、三好弥、という訳だ。
三河出身のご主人が始めた店であるからして、当然、とんかつと言えば、八町味噌を使った味噌とんかつ、が看板商品となった。
初代が始めた三好弥は人気となり、やがてこの店で修行した多くの料理人達が暖簾分けで独立していった。
一時には関東地方に数百軒を数えたらしいが、現在でも40軒程が、三好弥の暖簾を護って営業しているとの事。
道理であちこちで見かける訳だ、と、納得された方もおられよう。
…閑話休題。
話を戻そう。
その八丁味噌仕立ての甘い味噌だれが、揚げ物、特にトンカツには良く合い、何とも美味い。
カラリと揚がった硬目の衣、に、特によく合う。
この味噌だれは、分厚い肉の旨味を愉しむ衣の薄いトンカツ、つまり、塩で食べるのが最も美味い高級なトンカツよりも、薄めの肉と硬目の衣、それを一体として味わう際に、最も適している。
更にいえば、そのトンカツに味噌だれの風味を加えることで、味噌だれトンカツという無二の一品となる。
裏を返せば、味噌だれで食べる事で、ストレートな肉の旨味等は、全く判らなくなってしまう。
よって高級な肉を使った、肉そのものの旨味を味わうトンカツには、適していないと言い切っても、過言ではなかろう。
…そう、気取らない庶民の味、なのである。
だからこそ、昔の気取りの無かった関東の人々に、広く受け入れられたに違いない。
時が移り、東京を中心に関東で気取った文化、気取った食事がもて囃される様になると共に、店の数が減って来たのではあるまいか。
だがしかし、気取りの無い下町が広がる、上野、仲御徒町、根岸、錦糸町、そして浅草等、現在でも多くの三好弥が、味噌だれトンカツを看板として、庶民の支持を受けて残っている。
東京に根付いたこの三河文化が残り続けるかどうかは、東京の食文化の底の深さを計る1つの目安となり得る、と、僕は考える。
誤解を恐れずに言えば、現在の東京都心部には、食文化が無い。
(勿論、江戸から続く一部の土地には、今も食が文化として残っているが…)
そこあるのは、流行と共に移り変わる、底の浅い浅薄な飲食店群のみである。
僕が下町を好むのは、少なくとも今の下町には、食文化と呼べるものが多く残っているから…かも知れぬ。
食が文化と呼べる様になるには、長い年月が必要となる。
それには、それを受け容れ、護り育てる人々が居る事、そういう人々が住まう土地である事が、何より重要となる。
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