ルソイへの達人のクチコミ
濁った夜の色に彩られた中目黒駅を通り越して歩む。ここが本当に都心の一角かと訝るほどに荒涼とした、凹凸だらけの、影のことさら多い景色が広がっており、それは私の心象世界の投影と見紛うばかりである。そうだ、きっとそうなのだ。橋も、行く過ぎる車列の並みも、隙間を縫う風の音も、時折すれ違う顔をなくした人たちも、写し絵に過ぎないのだ。そこまで気持ちが昂ぶって、今日の行き先を辿ることもなく、心の外側の殻であるかもしれない夜空の下にぽつんと小人のようにさ迷っていても、私はやはり誰よりも自由だ。見上げるような塔が立ち塞がり、威容を早くも背中に感じつつ目前の急勾配をがむしゃらに駆け登る。三田という標識から自分の位置をおぼろげにつかむ。危険な野犬のように目がぎらつくのを承知で頂きを上り詰め、それでも塔の頂上がまだ眼下に見下ろせないのに歯軋りしながら、なぜだかふと安らぎを覚え、地球ぼーえーぐんの隊長にでも就任したような、おかしな、まったくもって意味不明の高揚感と責任感に囚われ、陶然としている。しかし、それが祟りのように背中に張り付いてしまったためか、権之助坂を下るころには激しい脱力感にみまわれ、せっかく来たのに何度「ルソイ」を通り過ぎ、断念したことだろう。初めて入店できたのはそれから三月後の月の青い晩のことであった。
店前の観葉植物の葉を揺らしただけで来店を察知する、ターバンを巻いた給仕人氏からメニュを受け取り、開きもせずに返しながら「ベジタブルクルチャ」と即答する。クルチャは、丸型で、少々厚みがあり、中に詰め物をすることが多い、インド西北、パキスタンからさらに西側の乾燥地帯に見られるナンの一種である。ターバンはシーク教徒を意味し、そこから「ルソイ」はパンジャブ料理を売る店と見当をつけることができるが(ただしパンジャブ地方の半分はパキスタン、すなわちイスラムの文化圏)、それを舌で確かめるにはタンドール料理に限る。この窯はパンジャブを起源としており、正面切ってではなくともパンジャブを標榜する以上、頭一つ抜け出てた技術を見せて当然なのである。特にクルチャはその形状からタンドール窯に発生する縦方向に対流する熱風で火を通すのが難しい。
ふっくらとした外観には目もくれずに、焼き色の広がりと直火の当たり具合を検証する。つまみ、斜めに傾けて断面を見る。つづいて指頭で軽く押す。中心からしなやかに押し返してくる。皮の部分からの瞬間的な反発力はなく、ふっくらもっちりはいいとして、これでは中華饅頭の生地ではないか、との懐疑も生じたが、口に入れて咀嚼を開始するとベクトルが西を指していて、実際には見たことのないペルシャの風光明媚な夢幻世界が大判の図鑑の見開きページのように脳裏に展開された。あえてプレーンなナンを頼んで素早く引き千切って断面をつぶさに観察すると、西洋のパンを語るときに不可欠の「内相」を読むことができ、通常ベーキングパウダーのみで膨らませ、剥離した相に風の力が通って擬似的な内相が現れるだけなのに、この生地は焼成前に気泡が入っていることが明らかだ。イーストを使用したのかとの疑念が湧くが、インドでは静置発酵を利用して、すなわち空気中の酵母菌を取り入れて自然な発酵を促し、ナンの生地を仕込む技術があるようだ。そのような高等技術を使用しているのか、その前に日本の気候条件でそれが可能なのかもわからないが、他店と一線を画した生地であることには変わりなく、意識的に水分を多くした配合から見ても、宗教、政治を排して語れば、パンジャブは西方の文化圏の中に取り込まれてはいるものの、同時に移動性高気圧のように平べったく東側にも張り出した、世界的にも稀な特質を兼ね備えた豊穣の地との結論を得る。砂漠の乾いた色彩とモンスーン的な深緑が交差して見えるのである。
スパイスは舌でも鼻でも、耳でも味わうと言うが、目でも感じ取れるものだ。「ルソイ」の空気にはすでに唐辛子の粉が相当程度交じっている。運ばれてきた「チキンティカマサラ」も「アルゴビ」も赤黒い。感触は重たく、赤錆びた鉄粉を含んでいるようで、飲下すと軽くなり即効性の薬のように体を浸食する。その重さのゆえに、口に含んだものが店内の暗さとあいまって最初肉塊とおもえた。しかし生温い汁気がほとばしり出てマサラで覆われたそれは実は小粒のトマトだと知れた。トマトを肉に感じさせるというのは、中国の精進料理にも通じるのであろうが、その影響は否定できても熟達した料理人が行きつくユニバーサルな境地とも言え、主役のチキンティカを凌駕していた。「アルゴビ」はアルがゴビを凌いでおり、ジャガイモ(前処理で恐らく素揚げしてある)が肉を主張している。これもスパイスがずっしり重く、体に入ると急に軽くなる。このあたりのメリハリが、純粋に西洋の、特に食の上からは中東文化の影響がほぼ途絶えたフランス料理のコントラストの概念とは別種のものと捉えられる。
主食の原料である穀物は、何よりも雄弁に民の生活を語る。パンジャブは「五つの川が流れる」という意味で、世界でも有数の米の生産地帯である。かの有名なバスマティはパンジャブが本家本元で、日本の高過ぎる消費者物価をならして換算するとコシヒカリを抜いて世界で一番高価な米らしいが、それならば「ルソイ」で頼まない手はない。しかしナン2種、カレー2種、地球ぼーえーぐんと言えどもこれ以上は無理だ。次回の宿題としたい。
*その後も定期的に訪れている。「サグマトン」は青唐辛子のペーストをベースにしてあるのか、水溶性の辛味の気がした。たっぷりのほうれん草で煮付けてあり、シチュー感覚。繊維質の肉。カシミリナンの焼き加減は今一歩だったが、乾しブドウやナッツに箸休めのような効果があり、カレーとの相性は良かった。お奨めは「アルベンガン(ジャガイモと茄子のカレー)」で、一見マーボー茄子風。スパイスの押し出しが強烈で(特にクミン)、塩気が強い。こういうタッチでは仕上げられないなーと感心。ただ、この店の「マサラ(トマトベース)」はほぼ共通で、選び方によっては似通った料理(カレー)が多くなりがち(マサラそのものにも 100 パーセントの満足はしていない)。タンドリーチキン(1 ピースのみ注文)は肉質はさほどでもなかったが、「ルソイ」特有のゴージャス感は醸し出された。バスマティはまだ頼んでいない。普通のライスは値段からして日本米の可能性の方が高い。幸いビリヤニがあるのでそちらを試してみたい。尚、インディアンブレッドの宝庫ながら、ローティを筆頭に全粒紛のパンがまったくないのは寂しい。恐らく予約時に頼めば作ってくれるとおもうが、もう少しインド料理好きの方々に「目覚めて」ほしいものだ。この店の料理は全般にローティ向きと考える。
いろいろ書き過ぎてしまったが、この店は結構お気に入り。「毎度の道のり」が食欲を増進させているのかもしれない。夜の散歩と対になった「ルソイ詣で」は、まだもう少しつづきそうである。
店前の観葉植物の葉を揺らしただけで来店を察知する、ターバンを巻いた給仕人氏からメニュを受け取り、開きもせずに返しながら「ベジタブルクルチャ」と即答する。クルチャは、丸型で、少々厚みがあり、中に詰め物をすることが多い、インド西北、パキスタンからさらに西側の乾燥地帯に見られるナンの一種である。ターバンはシーク教徒を意味し、そこから「ルソイ」はパンジャブ料理を売る店と見当をつけることができるが(ただしパンジャブ地方の半分はパキスタン、すなわちイスラムの文化圏)、それを舌で確かめるにはタンドール料理に限る。この窯はパンジャブを起源としており、正面切ってではなくともパンジャブを標榜する以上、頭一つ抜け出てた技術を見せて当然なのである。特にクルチャはその形状からタンドール窯に発生する縦方向に対流する熱風で火を通すのが難しい。
ふっくらとした外観には目もくれずに、焼き色の広がりと直火の当たり具合を検証する。つまみ、斜めに傾けて断面を見る。つづいて指頭で軽く押す。中心からしなやかに押し返してくる。皮の部分からの瞬間的な反発力はなく、ふっくらもっちりはいいとして、これでは中華饅頭の生地ではないか、との懐疑も生じたが、口に入れて咀嚼を開始するとベクトルが西を指していて、実際には見たことのないペルシャの風光明媚な夢幻世界が大判の図鑑の見開きページのように脳裏に展開された。あえてプレーンなナンを頼んで素早く引き千切って断面をつぶさに観察すると、西洋のパンを語るときに不可欠の「内相」を読むことができ、通常ベーキングパウダーのみで膨らませ、剥離した相に風の力が通って擬似的な内相が現れるだけなのに、この生地は焼成前に気泡が入っていることが明らかだ。イーストを使用したのかとの疑念が湧くが、インドでは静置発酵を利用して、すなわち空気中の酵母菌を取り入れて自然な発酵を促し、ナンの生地を仕込む技術があるようだ。そのような高等技術を使用しているのか、その前に日本の気候条件でそれが可能なのかもわからないが、他店と一線を画した生地であることには変わりなく、意識的に水分を多くした配合から見ても、宗教、政治を排して語れば、パンジャブは西方の文化圏の中に取り込まれてはいるものの、同時に移動性高気圧のように平べったく東側にも張り出した、世界的にも稀な特質を兼ね備えた豊穣の地との結論を得る。砂漠の乾いた色彩とモンスーン的な深緑が交差して見えるのである。
スパイスは舌でも鼻でも、耳でも味わうと言うが、目でも感じ取れるものだ。「ルソイ」の空気にはすでに唐辛子の粉が相当程度交じっている。運ばれてきた「チキンティカマサラ」も「アルゴビ」も赤黒い。感触は重たく、赤錆びた鉄粉を含んでいるようで、飲下すと軽くなり即効性の薬のように体を浸食する。その重さのゆえに、口に含んだものが店内の暗さとあいまって最初肉塊とおもえた。しかし生温い汁気がほとばしり出てマサラで覆われたそれは実は小粒のトマトだと知れた。トマトを肉に感じさせるというのは、中国の精進料理にも通じるのであろうが、その影響は否定できても熟達した料理人が行きつくユニバーサルな境地とも言え、主役のチキンティカを凌駕していた。「アルゴビ」はアルがゴビを凌いでおり、ジャガイモ(前処理で恐らく素揚げしてある)が肉を主張している。これもスパイスがずっしり重く、体に入ると急に軽くなる。このあたりのメリハリが、純粋に西洋の、特に食の上からは中東文化の影響がほぼ途絶えたフランス料理のコントラストの概念とは別種のものと捉えられる。
主食の原料である穀物は、何よりも雄弁に民の生活を語る。パンジャブは「五つの川が流れる」という意味で、世界でも有数の米の生産地帯である。かの有名なバスマティはパンジャブが本家本元で、日本の高過ぎる消費者物価をならして換算するとコシヒカリを抜いて世界で一番高価な米らしいが、それならば「ルソイ」で頼まない手はない。しかしナン2種、カレー2種、地球ぼーえーぐんと言えどもこれ以上は無理だ。次回の宿題としたい。
*その後も定期的に訪れている。「サグマトン」は青唐辛子のペーストをベースにしてあるのか、水溶性の辛味の気がした。たっぷりのほうれん草で煮付けてあり、シチュー感覚。繊維質の肉。カシミリナンの焼き加減は今一歩だったが、乾しブドウやナッツに箸休めのような効果があり、カレーとの相性は良かった。お奨めは「アルベンガン(ジャガイモと茄子のカレー)」で、一見マーボー茄子風。スパイスの押し出しが強烈で(特にクミン)、塩気が強い。こういうタッチでは仕上げられないなーと感心。ただ、この店の「マサラ(トマトベース)」はほぼ共通で、選び方によっては似通った料理(カレー)が多くなりがち(マサラそのものにも 100 パーセントの満足はしていない)。タンドリーチキン(1 ピースのみ注文)は肉質はさほどでもなかったが、「ルソイ」特有のゴージャス感は醸し出された。バスマティはまだ頼んでいない。普通のライスは値段からして日本米の可能性の方が高い。幸いビリヤニがあるのでそちらを試してみたい。尚、インディアンブレッドの宝庫ながら、ローティを筆頭に全粒紛のパンがまったくないのは寂しい。恐らく予約時に頼めば作ってくれるとおもうが、もう少しインド料理好きの方々に「目覚めて」ほしいものだ。この店の料理は全般にローティ向きと考える。
いろいろ書き過ぎてしまったが、この店は結構お気に入り。「毎度の道のり」が食欲を増進させているのかもしれない。夜の散歩と対になった「ルソイ詣で」は、まだもう少しつづきそうである。