パティシェ イナムラ ショウゾウへの達人のクチコミ
客は店にいったん入ったが最後、いっこのダンボール箱の屈辱に甘んじなければならない。高価な化粧紙で包まれて最高の笑顔で見送られれば我慢したくもなる。しかし、結局のところどんな意匠を施されようが、ベルトコンベアのダンボールはやはりダンボールなのである。くどくど精神論的背景を述べたのは、基本技術が劣っているから。まず、遅い、いくらなんでも遅過ぎる。客を見ていないから、順番を平気で間違える。しかもどうも本人たちはそれを当たり前だと勘違いしている。そう思わせているのは他でもない、祭壇の中の煌きではないか。聳え立つといえばいささか大袈裟だが、ショーケースに向かい合うと嫌でも目に入るのが、1993年クープドモンドの表彰楯、トロフィー、メダルの類。接客担当者の目線が高いところから客を見下す方向付けになるのもやむをえない。彼女たち、一見チームワークが良さそうに見えるが、客に対する畏れから出発してそれを克服するという過程を踏まえていないから、どこか呑気で、ある意味非常に冷淡である。それもそのはず、祭壇に奉られた偶像的価値の申し子なのであった。頭に来たので、それを(賞状の文面を)じっくり読んでやる。店の外には高級車が停まってるから、噂通りマダムマダムした客層が多いのだろうし、そのときもそれらしき方々がいたが、そういう客はフランス菓子に心底惚れ込んでいるわけではないし、フランス語を読めるわけでもない。祭壇は良しとしよう。ならば文面を読む行為に非はないだろう。だから、意地になってでも、会計を急かされようと、外に行列ができようと、賞状の文面を読んでやる。結果から言えば字が自分にとって小さく、うまく読むことはできなかった。また結束力の強い彼女たちの無言のプレッシャに負けた(それほど恐かった)。だが、とにかくがんばって大筋を把握した限りでは、このときのイナムラ氏をはじめとした日本チームに対する賛辞はとくに記載されていなかったのである!入賞、何位、という客観的な評価、まして優勝の文字を見つけ出すことはできなかった。これは、世にいう参加賞だろう。
肝心のお菓子に話を移そう。手堅いというのが第一印象。熟練の手腕。培ってきた技術で形に落とすことはできている。ただ魅力がない。商品の種類が少なすぎる。ケーク、マカロン、と一通りはそろっているが、アイテムを絞りに絞ったというより、どれも「銘菓」として落ち着けようという意図が明白なのである。つまりは商品性の突出だ。フランス菓子は時々のインスピレーションを掬い取る種目、それを間違えると腰が据わってはいるがイメージの跳躍力の乏しい、パッケージ、ネーミングといった表象原理の下に一つのお菓子が本来のダイナミズムを失って静的に配置されることになり、東京ばななや鳩サブレと同等の、おつかい物に喜ばれる「品」に堕してしまうのである。フランス菓子はもっと自由なものだ。ワクワク感を与えるものだ。パッケージなしで人の心をつかむものだ。店作りの基本に流れるこういう空気が、冷蔵ケースの中にまで入り込まなければならない。特に駄目だったのは、アプリコットのタルト。果物が崩れて、ほぐれて、クレームと、パイ生地と、一つに溶けないといけない。ほぐれる前、崩れる前に、アプリコットの命は終わっていた。
肝心のお菓子に話を移そう。手堅いというのが第一印象。熟練の手腕。培ってきた技術で形に落とすことはできている。ただ魅力がない。商品の種類が少なすぎる。ケーク、マカロン、と一通りはそろっているが、アイテムを絞りに絞ったというより、どれも「銘菓」として落ち着けようという意図が明白なのである。つまりは商品性の突出だ。フランス菓子は時々のインスピレーションを掬い取る種目、それを間違えると腰が据わってはいるがイメージの跳躍力の乏しい、パッケージ、ネーミングといった表象原理の下に一つのお菓子が本来のダイナミズムを失って静的に配置されることになり、東京ばななや鳩サブレと同等の、おつかい物に喜ばれる「品」に堕してしまうのである。フランス菓子はもっと自由なものだ。ワクワク感を与えるものだ。パッケージなしで人の心をつかむものだ。店作りの基本に流れるこういう空気が、冷蔵ケースの中にまで入り込まなければならない。特に駄目だったのは、アプリコットのタルト。果物が崩れて、ほぐれて、クレームと、パイ生地と、一つに溶けないといけない。ほぐれる前、崩れる前に、アプリコットの命は終わっていた。