東京ラーメンへの達人のクチコミ
今や葛飾区で1番の、と言っても言い過ぎではないと思うラーメン激戦区、亀有。
メディア露出も盛んになり、各店微妙に被らない、それぞれ美味い一杯を提供するお店が続々と出店と、地元としては嬉しい限り。
そんな激戦区の亀有ですが、つい5年程前には店舗数はチェーン店を除けば割と寂しい状況で、たま〜にメディアに登場するのは、えぞ菊系の「昭ちゃん」位。
そんな状態で、環七通りという幹線沿いで毎晩コンスタントに行列を作りだしている、いわば1人勝ち状態のお店があった。それも15年位前から。
そのお店の名は「東京ラーメン」。
一般的な知名度は低いと思いますが、その理由はマスコミやメディアに取り上げられないんじゃなくて、地元客の事を考えて取材拒否の姿勢を貫いていたから(何回かテレビに出たらしいけど)。
ぶっちゃけ言うと、ライブドアグルメ始めたのも、ここいらの地元しか知らないお店を紹介したいという理由なんだけれども(このコンセプトは今も変わらずですよ)、このお店もその一軒。
そんな東京ラーメンですが、近年、夜8時からのオープンという営業時間は子連れ訪問派にはハードルが高く、暫く足が遠のいていた状態だったんですけど、昨年の夏の終わりからお店の前を通る度にシャッターが閉まっている事に気付いた。
このお店の前を通るのは営業時間前の事のほうが多かったのだけれども、営業時間中と思われる時間に通ってもほぼシャッター。若しくは半シャッター(お店に人はいるけど非営業)。
このお店の親父さんは、以前から腱鞘炎を患っているのを知っていて、麺の湯切りの時の痛々しい姿を見た事もあるし、多分それ以外の理由で、以前からちょくちょく臨休してたんで、さして気にもしてなかったのだけれども。
昨年の秋口、携帯のラーメンサイトで偶然的にこのお店の評判を見ていた時に、そのシャッターの真の理由を知って愕然とした。
なんと、このお店の親父さんが山岳事故に遭って帰らぬ人となっていたせいなのだ。
携帯でこの事実を見た時のその喪失感の大きさといったら、今まで縁を持ったどのお店よりも大きくて、それはやはり通常の閉店というプロセスを経た上での別れという訳ではなく「親父さんが亡くなった=東京ラーメンが食べられない」という、到底予想出来ない(したくもないけど)状態だった訳で。
「あそこ確か息子さん手伝ってたよな、なんとか継げないのかな?」
なんて、嫁との会話もかなり勝手な申し出な訳で。継承云々というよりも、やはりご家族のお気持ちを尊重するべきで。
それから、お店の前を通る度に気にかけていたのだけれども、結局シャッターが開かないまま年を越し2009年を迎えるに至る。
個人的にショックを引きずっていて、どう書いていいかも判らないのでブログでは記事にしなかったけれども、パソコンを立ち上げる度、このお店の事を調べていたのだけれど、昨年秋から今年初めにかけて、このお店に関して静かな波が動き出す。
どこかの誰かの「再開希望」の類の書き込みが、シャッターに貼られた「山岳事故で亡くなり〜」の白い紙に書かれると、ポツリポツリと書き込みが増えていき、映画「UDON」の1シーンみたいなムーブメントを起こす事となる。
そんな状態でも、個人的には正直もはや幻の一杯かと思った矢先、営業再開との報が。
その営業再開、店頭の書き込みがそうさせたか、それを経なくても決意していたのかは判らないですけど、息子さんが継ぐ事に。
親父さんが厨房に立っていた時は、息子さん何やってたかな〜?、と振り返るも正直思い出せず、失敬。
再開当日の1月30日。事前に盛り上がりを見せていた某BBSの書き込みのせいもあってか?、お店オープン前にはシャッター前と変わらぬ行列が出来たそうな。
で、関係ないですがワタクシ、その日の深酒で酩酊状態になり、今も自業自得の怪我に悩んでいるんですけどね。
そんな思い入れの一杯。
午後8時の訪問で、先客は8割程。
頼んだのはいつものやつ、醤油の「こってりにんにく」。
丼の到着を待つ間、店内をさりげなくキョロキョロと。
内装も軽くリニューアル、以前に在った親父さんの趣味の野球、相撲関係のポスター、壁掛け類は外され、山の写真がポツンと。
メニュー表もリニューアル。ほぼ全部のメニューにこってりプラスの表記。
常連にしか判らないメニューも健在、それらを頼む後客も続々。つまり客層は相変わらず地域密着な訳だ。
さて、到着した一杯。
麺のヤワな茹で加減も先代を思い起こさせる良い塩梅の物。
メンマの下処理等にも、先代の足跡を辿ってる。
先代の味と比較すると、っつーのも野暮な話だけれども、カエシの加減っつーか、しょっぱさと表層の背脂の量のバランスの違い。
親父さんはカエシの力強さもあったけど、東京豚骨とは明らかに趣旨の異なるスープと背脂の使い方で、不思議とノスタルジー感じる「甘塩っぱい」絶妙の一杯だったような。
今回頂いた息子さんのはカエシの強さが際立って(つまり塩っぱい)背脂の投入量もそれなりに多い、以前の東京ラーメンを1.5倍こってりにした感じに思えた。
それでもやっぱり「東京ラーメンイズム」を感じられた一杯なんですけどね。
自分なんぞ「この人達に比べれば…」と、ヒヨっ子に感じる位、常連達が数多く集う地元の人気店。
そんなお店で、思いがけずの2代目襲名。で、先代に追いつけ、で試行錯誤の日々だと思いますが、方向性はブレず正しい道だと思うので、これからも自分の信じる
「東京ラーメン」を貫いて欲しいと思います。
コチラも「偉大すぎる親父さん」の味を知る者として、その思い入れを胸に、温かく見守っていきたいと思います。
(ブログからクチコミするには?)
このレビューはブログからの投稿です。
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東京ラーメンへのその他のクチコミ
夜 1,000円以下
メディア露出も盛んになり、各店微妙に被らない、それぞれ美味い一杯を提供するお店が続々と出店と、地元としては嬉しい限り。
そんな激戦区の亀有ですが、つい5年程前には店舗数はチェーン店を除けば割と寂しい状況で、たま〜にメディアに登場するのは、えぞ菊系の「昭ちゃん」位。
そんな状態で、環七通りという幹線沿いで毎晩コンスタントに行列を作りだしている、いわば1人勝ち状態のお店があった。それも15年位前から。
そのお店の名は「東京ラーメン」。
一般的な知名度は低いと思いますが、その理由はマスコミやメディアに取り上げられないんじゃなくて、地元客の事を考えて取材拒否の姿勢を貫いていたから(何回かテレビに出たらしいけど)。
ぶっちゃけ言うと、ライブドアグルメ始めたのも、ここいらの地元しか知らないお店を紹介したいという理由なんだけれども(このコンセプトは今も変わらずですよ)、このお店もその一軒。
そんな東京ラーメンですが、近年、夜8時からのオープンという営業時間は子連れ訪問派にはハードルが高く、暫く足が遠のいていた状態だったんですけど、昨年の夏の終わりからお店の前を通る度にシャッターが閉まっている事に気付いた。
このお店の前を通るのは営業時間前の事のほうが多かったのだけれども、営業時間中と思われる時間に通ってもほぼシャッター。若しくは半シャッター(お店に人はいるけど非営業)。
このお店の親父さんは、以前から腱鞘炎を患っているのを知っていて、麺の湯切りの時の痛々しい姿を見た事もあるし、多分それ以外の理由で、以前からちょくちょく臨休してたんで、さして気にもしてなかったのだけれども。
昨年の秋口、携帯のラーメンサイトで偶然的にこのお店の評判を見ていた時に、そのシャッターの真の理由を知って愕然とした。
なんと、このお店の親父さんが山岳事故に遭って帰らぬ人となっていたせいなのだ。
携帯でこの事実を見た時のその喪失感の大きさといったら、今まで縁を持ったどのお店よりも大きくて、それはやはり通常の閉店というプロセスを経た上での別れという訳ではなく「親父さんが亡くなった=東京ラーメンが食べられない」という、到底予想出来ない(したくもないけど)状態だった訳で。
「あそこ確か息子さん手伝ってたよな、なんとか継げないのかな?」
なんて、嫁との会話もかなり勝手な申し出な訳で。継承云々というよりも、やはりご家族のお気持ちを尊重するべきで。
それから、お店の前を通る度に気にかけていたのだけれども、結局シャッターが開かないまま年を越し2009年を迎えるに至る。
個人的にショックを引きずっていて、どう書いていいかも判らないのでブログでは記事にしなかったけれども、パソコンを立ち上げる度、このお店の事を調べていたのだけれど、昨年秋から今年初めにかけて、このお店に関して静かな波が動き出す。
どこかの誰かの「再開希望」の類の書き込みが、シャッターに貼られた「山岳事故で亡くなり〜」の白い紙に書かれると、ポツリポツリと書き込みが増えていき、映画「UDON」の1シーンみたいなムーブメントを起こす事となる。
そんな状態でも、個人的には正直もはや幻の一杯かと思った矢先、営業再開との報が。
その営業再開、店頭の書き込みがそうさせたか、それを経なくても決意していたのかは判らないですけど、息子さんが継ぐ事に。
親父さんが厨房に立っていた時は、息子さん何やってたかな〜?、と振り返るも正直思い出せず、失敬。
再開当日の1月30日。事前に盛り上がりを見せていた某BBSの書き込みのせいもあってか?、お店オープン前にはシャッター前と変わらぬ行列が出来たそうな。
で、関係ないですがワタクシ、その日の深酒で酩酊状態になり、今も自業自得の怪我に悩んでいるんですけどね。
そんな思い入れの一杯。
午後8時の訪問で、先客は8割程。
頼んだのはいつものやつ、醤油の「こってりにんにく」。
丼の到着を待つ間、店内をさりげなくキョロキョロと。
内装も軽くリニューアル、以前に在った親父さんの趣味の野球、相撲関係のポスター、壁掛け類は外され、山の写真がポツンと。
メニュー表もリニューアル。ほぼ全部のメニューにこってりプラスの表記。
常連にしか判らないメニューも健在、それらを頼む後客も続々。つまり客層は相変わらず地域密着な訳だ。
さて、到着した一杯。
麺のヤワな茹で加減も先代を思い起こさせる良い塩梅の物。
メンマの下処理等にも、先代の足跡を辿ってる。
先代の味と比較すると、っつーのも野暮な話だけれども、カエシの加減っつーか、しょっぱさと表層の背脂の量のバランスの違い。
親父さんはカエシの力強さもあったけど、東京豚骨とは明らかに趣旨の異なるスープと背脂の使い方で、不思議とノスタルジー感じる「甘塩っぱい」絶妙の一杯だったような。
今回頂いた息子さんのはカエシの強さが際立って(つまり塩っぱい)背脂の投入量もそれなりに多い、以前の東京ラーメンを1.5倍こってりにした感じに思えた。
それでもやっぱり「東京ラーメンイズム」を感じられた一杯なんですけどね。
自分なんぞ「この人達に比べれば…」と、ヒヨっ子に感じる位、常連達が数多く集う地元の人気店。
そんなお店で、思いがけずの2代目襲名。で、先代に追いつけ、で試行錯誤の日々だと思いますが、方向性はブレず正しい道だと思うので、これからも自分の信じる
「東京ラーメン」を貫いて欲しいと思います。
コチラも「偉大すぎる親父さん」の味を知る者として、その思い入れを胸に、温かく見守っていきたいと思います。
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